2022.9.30更新
7月30日(土)に開催した、酒井家庄内入部400年記念事業「第3回 親子で参加 こども記者プロジェクト」の模様を、こども記者の皆さんと一緒に参加した2名の「高校生記者」からまとめてもらいました。
こども記者が取材した記事は、8月31日(水)付の山形新聞に掲載されました。
2022年8月31日付 山形新聞朝刊
私たちは、令和4年7月30日に開催された「第3回親子で参加こども記者プロジェクト」に参加しました。このイベントは、酒井家庄内入部400年を記念して、庄内に住んでいる小学4・5・6年生を対象に、酒井家に関する歴史について学ぶ取り組みです。当日は、参加した親子と一緒に酒井家や鶴ヶ岡城の歴史を学び、子供たちは新聞記者となって実際に学んだことを記事にまとめました。
まず初めに取材のポイントを聞いた後、致道博物館の菅原学芸員から、酒井家と鶴ヶ岡城の説明を聞き、古文書を見せていただきました。実際に鶴岡公園を歩きながら説明を聞いた後、鶴岡南高校敷地内で行われている鶴ヶ岡城跡の発掘現場を見学しました。参加者は、発掘されたものなどを興味津々に見ていました。すべての説明を聞いた後は、今日学んだことを思い出しながら新聞記者になって記事を書きました。親子で協力しながら一生懸命執筆していました。(新田典)
致道博物館の菅原学芸員による説明
鶴岡南高校敷地内の発掘現場の見学
記事執筆風景
記事執筆後は、みんなで甲冑の着付け体験&写真撮影
今年、初代庄内藩主酒井忠勝が庄内に入部してから400年が経ちます。そこから酒井家が代々住んできたのが鶴ヶ岡城です。
「城」と聞くと、立派な建物を想像しますが、酒井忠勝が入部した直後の鶴ヶ岡城は粗末なつくりをしていました。そんな鶴ヶ岡城の防衛機能を高め、家臣の暮らす場所を整備するのに30年以上もの月日を費やした事で、長らく庄内藩の発展を支える拠点が出来上がったのです。
しかし、江戸幕府が崩壊し時代が変わると、明治政府が出した廃城令により、鶴ヶ岡城も取り壊される事となりました。これは民衆にとっても悲しいことであり、何度にも渡る国への嘆願と庄内中の人々からの寄付によって、何もなかった鶴ヶ岡城跡地に、酒井家の4人の先祖を御祭神として祀る荘内神社が完成しました。今では、荘内神社を中心に自然豊かな鶴岡公園となり、日々市民に愛される憩いの場所になっています。(伊藤颯汰)
今回レポートをまとめてくれた高校生記者の二人です。
左)新田典さん
右)伊藤颯汰さん