400thEpisode

酒井家庄内入部
400年への想い

酒井忠久

(旧庄内藩酒井家第18代当主)

酒井家入部400年に思う

令和4年2022年酒井家入部400年をむかえます。令和2年「酒井家庄内入部400年記念事業実行委員会」が設立されました。事業の基本方針として庄内の歴史を知り、庄内の精神・価値を学び考え、持続可能な未来の創造、そして事業のキャッチフレーズは400年から学ぶ庄内(SHONAI) みんなでつなごう将来(SHORAI) のもと、400年記念事業がおこなわれますことをお慶び申し上げますとともに酒井家として厚く御礼申し上げます。

酒井家の歴史をふりかえると、徳川四天王酒井忠次を祖とし、二代家次は吉田(豊橋市)、碓井(佐倉市)、上州高崎(高崎市)、越後高田(上越市)と任地を移り譜代としての役割をはたしてきました。三代忠勝は越後高田で跡を継ぎ、その後移封した信州松代(長野市)から元和8年1622年庄内に入部しました。

忠勝公肖像(全体)
「酒井忠勝像」致道博物館所蔵

そして農政に力を注ぎ、庄内は良米の産地として名声を高め、日本海航路の拠点・酒田港や加茂湊の発展により豊かな文化と産業が育まれた庄内400年の歩みでした。

地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化伝承を語るストーリーを日本遺産として文化庁が認定しています。
山形県には、

 ・自然と信仰が息づく「生まれ変わりの旅」
 ・サムライゆかりのシルク
 ・荒波を超えた男たちの夢が紡いだ異空間、北前船寄港地、船主集落
 ・山寺が支えた紅花文化
と4件の日本遺産、そして鶴岡市では
 〇ユネスコ創造都市ネットワーク食文化部門
が認定されていますが、400年の歴史は広く関わりをもっています。
9代酒井忠徳が創設した徂徠学による藩校致道館では、「学問は歴史に極まる、手応えある歴史 事実がごつごつとして転がっている歴史、それを恐れずに把握せよ」そして「見聞広く事実にゆきわたり候を学問という」と教え、多くの人材が育ち、活躍をしました。向学心溢れる小寺信正は江戸で徂徠の高弟太宰春台について学ぼうと訪ねました。庄内について、鳥海山の高さ、最上川の長さ、酒井忠次の業績など地理や出来事を春台から質問されたが何も答えることができず、そこで春台は庄内のことを学ぶことが第一で根本である、それから他のことを学んでも遅くないと諭され、恥じて発憤して色々学び庄内を研究し貴重な著述を多く残しました。

日本のこころを大切にしてきた先人先輩に敬意を捧げ感謝を表するとともに、「最上のものは過去にあるのではなく将来にある」というロバート・ブラウニングの言葉にあるように、この400年を節目に庄内の夢ある将来をめざして、ますますの発展を祈念します。

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